変化する社会の中で
夫との二人三脚で事業拡大
ここまで読んで下さった方は、"堀越かず子が働き者なのはよくわかったけれど、旦那さんは何をしていたの?"と疑問に思われているかもしれませんね(笑)。
私の夫は私とは真逆で、全く働かない人でした。働かない、というと語弊があるかもしれません。私がとにかく体を動かすタイプなのに対して、夫はアイデアで勝負する人だったのです。
「ゴミを集めるついでに、そのお店の掃除もやらせてもらおうよ」
「掃除だけでなく、便利屋にして、引越し業務もやろう」
「店舗のマットのリースをしてみてはどうだろう」
「これからは高齢化社会。介護の仕事にも挑戦していこう」
まるで泉のごとく湧きだすアイデアを、形にしていく実働部隊はいつも私です。大変でしたが、無我夢中で取り組んだ日々が充実していたことも事実です。何よりもそのことで、丸越という会社が徐々に力をつけて、業務も拡大していきました。夫は太く、短く生きて、私を置いて逝ってしまいましたが、大きな贈り物を丸越という会社に遺していってくれました。
そして息子の時代へ
昭和から平成へと次代が移り変わる中で、ゴミに対する意識は大きく変わりました。私が事業を始めた頃には、ゴミに関する法律はまだきちんと整備されていませんでしたが、いまでは細かい規定ができ、それも時代状況に即応して改定されていきます。また、事業を続けていくために取得しなくてはならない認可や資格も、どんどん追加されていきます。
これはもう丸越だけの問題ではありません。ゴミに関わる業者が連絡を密にして、お互いに切磋琢磨していこう。そういった気運が高まり、県や市を単位に同業者の組合が作られました。私もその一員として、業界の質を高める努力を続けてきました。
そんな私に頼もしい味方が現れました。息子の堀越正和です。正和は東京音大を卒業後、演奏家として生活の基盤を築いていたにもかかわらず、それをすっぱりと辞め、丸越をさらにステップアップさせるために戻ってきてくれました。《環境》が世界的なキーワードになっている情勢の中で、自分達の役割は何かをしっかりと把握し、社会貢献していきたい。それが息子のめざしているところです。
これまで大きな支えになってくださった皆様、そして息子自身が新たに出会いを求めていくであろう皆様に、びしびし鍛えていただき、また可愛がっていただけることを、切に願っております。